
「自分に用?ああ、なんか通り魔とかではなさそうだ」
目の前に現れた影を見て。女は何だか可笑しくなって、笑った。
「あー。あれですか。お前、刺客ってことか」
彼女は淡々とそう言って、にこにこと近づいた。
殺し屋を自主廃業してからは、こういった刺客が現れることもしばしばである。もう慣れっこだと言っても良い。
ゆっくりと歩み寄るその挙措が、あまりに自然なので、その刺客が思わず自らの仕事を忘れてしまったほどだ。
「そうか、そうか。それじゃ。」
す。と彼女の手がスカートに伸びる。
「死んでもらうから。…自分、殺されるのは困るし」
ひゅ。と短く、風を切る音。
数条の光芒が月明かりに跳ね飛び、刺客の目と、喉と、胸とに深く深く突き刺さる。
あっという間だった。あまりにあっさりとしている。
もし目を凝らす暇があったなら、女が寸秒の間に、銀色の長い針を何本も投じたことがわかったかもしれない。
ざく。鈍い音がして、肉が抉れる。突き破られた動脈から鮮血が吹き上がる。
声を上げる間もなく、武器を抜く暇もなく、刺客は倒れた。
「ふう。面倒なことだな」
嘆息しつつ、頬についた返り血を指でふき取る。
「…弱い。しかも、くたびれもうけだ。服が汚れた」
即座に冷酷に吐き捨てる。
しばらく、月に見下ろされて。
感慨もなく足下の死体を検分していた女が、弾かれたように振り返った。何かと思いきや。
「あ。大変。早く帰らないと、あいつが作る夕飯を食べ損ねちゃう」
倒れた刺客から針を抜き取り、刺客の服で血をぬぐうと鞘にしまう。そのまま、くるりと踵を返した。
「あいつの夕飯を食べ損ねたら、一大事。すごく美味しいのに。早く帰らないと」
彼女は急いで走り出した。
そこには一つ、死体だけが残された。
笑う三日月の下。
「おかえりー…っておいなんだ、お前、それ!」
「大丈夫、自分の血じゃないよ。心配した?」
「誰がお前の心配するかよ。ってかそういう問題じゃねーんだよ、お前まさか通り魔やってきたんじゃねーだろなあ」
「何でもいいじゃないか。変な男だなー。其れより、夕飯は何?今日はカレーか?」
町の一角に、平穏な夕食の時が訪れようとしていた。
春も間近。朧な月が笑っている。