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コトノハヤ徒然

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06.18 Sun

慌しさ。

 日程の関係上、一応の葬儀と呼べるものは、3日で終わった。

 初日。激しい雨とともに運ばれてきた祖母は、深い霧とともに火葬され、今日弔辞を送り。
 あまりに急で墓すらも準備されてはいなかったが、其処が永眠の場になるであろう場所に、皆で参り。
 故人を忍びつつ縁者が食事をし。
 そして一応、終わったのだ。

 弔辞は、故人の同級生・有志の人・そして私の役目となった。
 思った以上に詰め掛けた人は多く。
 私の細い声は、隅までは届かなかったようだった。
 ただ、別に、遠い親戚に贈る言葉ではない。祖母に贈れればそれでいいのだとそう思った。

 弔辞を考えたのは前日の夜だった。
 ビールを少し頂いた後。人が帰り、静かになった居間で、一人日本酒を猪口で少しずつ飲みつつ…考えた。
 伝えたいことは山ほどあるけど、言葉にはならない。
 文章にして、読めば、私の気持ちがただしく通じない。
 結局――祖母の遺影と見詰め合いながら、その場で決めることにした。

 伝わっていればいいなと思った。


 後は、初七日やら、ハツタナやら、少し、残っているらしい。
 何より、後片付けや物品整理。まだまとまりのついていなかった引越しの仕上げ。そういうものも残っている。

 進むだけ。
 それしかないのだと思った。
 確かな痛みを、大事に胸に抱きつつ。

 たくさんの花を贈って貰ったり、色々な人が押しかけてきた葬儀。
 ただ、何をしにきたのだろうという人もいた。

 事業の関係で知り合いの多い祖父母夫婦。その祖母の葬儀だから仕方ないといとはいえ、ただ酒食を貪り、談笑しているだけなら、いない方がマシだと思ったりもした。
 反面、尽くしてくれる人もたくさんいて、感謝と軽侮の感情が混在する、微妙な心境だった。
 純粋に祖母を想えたのは、帰ってきた日の夜、夜通し付き添ったときと。
 弔辞を読んだり、一人でいるとき。意の通じる人と居たときだったとおもう。

 
 私が死んだら――家族や友人だけでひっそり送ってもらうだけでいいと思った。